仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

Sīmāsambheda、Vicakkhaṇa

Sīmāsambheda、Vicakkhaṇa。

個人的に重要な言葉です。

あんまりピッタリとした訳はありませんが、こういう言葉は、パーリ語のまま理解して覚えておいた方が、誤解が少なそうだと思いました。

sīmāsambheda

palidictionary.appspot.com

パオ・セヤドー『智慧の光』p.50

http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.chienohikari.pdf

限界の突破
極めて憎んでいる人に対して、慈愛が送れるようになるまで、修行者は逐一、慈心観の対象を取替えて修習すること。そしてその後に、修行者は更に一歩進んで、限界を突破する(siimaasambheda)ための修習をしなければならない。siimaa とは限界を指し、sambheda とは突破を意味する。限界とは何か?もし、修行者がある人には慈愛を送ることができるのに、他の人にはできないということであれば、限界があるということになり、この場合は、心境が平等で分別・差
別する心がなくなるまで修習しなければならないのである。

 


vicakkhaṇa

パーリ語辞典 水野弘元著
vicakkhaṇa:a.[vi-cakkhaṇa] 明眼ある,明察の.

vicakkhaṇa

Concise Pali-English Dictionary by A.P. Buddhadatta Mahathera
vicakkhaṇa:[adj.] skilful; wise.(m.),wise man.

 

palidictionary.appspot.com

 

智慧とは仏道実践することで現れる能力なんです。でも、その場その場で適切な解決策が閃くことは仏道に興味ない人にも必要な能力です。パーリ語ではvicakkhaṇa といいます。でも、それが智慧ということではない。智慧がある人には、いくらでもvicakkhaṇa の能力はあるんです。

https://twitter.com/jtba_talk/status/855963879951613952

 

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Buddhābhivādanā 礼拝文
Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。
Bhājemi Pūjā 廻向偈
Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように
Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に回向いたします
Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。
参考、引用:
http://paauk.jp/2_1_uposatha.html
内PDFファイル
http://paauk.jp/doc/8silam.pdf
『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本