仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

2016-01-01から1年間の記事一覧

無我論(2)―我(Attan)についての無記(アーナンダ経 Ānanda-sutta)

ブッダは「諸法無我(Sabbe dhammā anattā)」を説かれます。 しかし、我(Atta)自体の存在の有無については、無記(Avyākata)ということのようです。 下記の「アーナンダ経(Ānanda-sutta)」の要点を書きます。 「我があるか?」→ブッダ「(沈黙)」(無…

無我論(1)―ブッダが否定した我(Atta)とは?

ブッダの言葉 279.‘‘Sabbe dhammā anattā’’ti, yadā paññāya passati;Atha nibbindati dukkhe, esa maggo visuddhiyā. ダンマパダ 279 あらゆる法は、無我なり(Sabbe dhammā anattā)、と 智慧を持って観るときに かれは苦を厭い離れる これ清浄にいたる道…

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク(YouTube、Podcast版)まとめ 001~040(全)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

「ブッダは輪廻転生について無記の態度をとった」説は本当か?(書きかけ 11月26日更新)

輪廻転生について、ブッダは「無記」の態度をとったという話がありますが本当でしょうか? 結論からいうと、これは、経典解釈としては、誤りのようです。 ブッダが、無記(Avyākata)の態度をとったのは、渇愛を滅した阿羅漢の死後について。 渇愛のある衆生…

比丘は、具足戒を受けていない者に「私は預流果だ」「私は初禅に達した」などと語ってはならない。

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

阿羅漢の境地―雇われ人が報酬を待つように死を待つ。

1001.‘‘Nābhinandāmi maraṇaṃ, nābhinandāmi jīvitaṃ;Nikkhipissaṃ imaṃ kāyaṃ, sampajāno patissato. 1002.‘‘Nābhinandāmi maraṇaṃ, nābhinandāmi jīvitaṃ;Kālañca paṭikaṅkhāmi, nibbisaṃ bhatako yathā. 1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わた…

「物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ」(スッタニパータ第五章)―仏道修行のゴール2

物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。(Jahassu rūpaṃ apunabbhavāya) 渇愛を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。(jahassu taṇhaṃ apunabbhavāyā) これも、「Dukkha(苦)からの解放は、肉体と渇愛を捨てさって、もう二…

「もう二度と母体に宿らない」(慈経 Metta Sutta)―仏道修行のゴール

「もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。(na hi jātuggabbhaseyya punaretīti)」 (Suttanipātapāḷi 1. Uragavaggo 8 スッタニパータ 1章8 Metta Sutta(慈経)) 「この世とかの世とを共に捨て去る jahāti orapāraṃ」スッタニパータ第1…

善友経(Kalyāṇamitta-sutta)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

スマナサーラ長老「『悟り』は日本独自の言葉」

日本語で、「悟り」というが、パーリ語ではなんというか。 似た言葉はあるが、日本語の「悟り」にぴったりあてはまるパーリ語はない。 ブッダは「悟り」なんておっしゃられていないというスマナサーラ長老のお話。 スマナサーラ長老のかなり鋭い指摘だと思う…

2016年4月3日(日)第27回原始仏教トーク(LIVE)「慈悲のガーランド(花飾り) ~一切の生きとし生けるものが、安楽であるように~」

(「ポスターは宣伝等にお使いいただける場合、転載自由」だそうです) Yathāpi puppharāsimhā, kayirā mālāguṇe bahū; Evaṃ jātena maccena, kattabbaṃ kusalaṃ bahuṃ. ーーDhammapada 53 花の束から多くの花飾りを作ることが出来るように人間として生まれ…

【良記事紹介】Soyさん「長年医者に見落とされ続けた体調不良が難病だと判明した」

dsj.hatenablog.com 去年、はてなで話題になっていた記事。 Soyさんは、原因不明の体調不良で、なかなか医者にも、原因がわからなかったのだが、「ACTH単独欠損症(続発性副腎不全)」という病気であることがわかり、その治療をした途端、長年の体調不良が好転…

仏道の行法に「瞑想」という表現が持ちられるようになったのは、近代。

「瞑想」という日本語のルーツは、道教や英語の"meditation"のようだ。 〈冥想〉とも書く。〈冥想〉は漢語としては、目を閉じて深く思索するという意味。 東晋の支遁(あるいは支道林、314-366)の「詠懐詩」に「道会冥想を貴び、罔象 玄珠を掇る」とあり、…

Satiの力で過去世の記憶を蘇らせる

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …