2015-01-01から1年間の記事一覧
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …
Buddhābhivādanā 礼拝文 Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。 Bhājemi Pūjā 廻向偈 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Id…
Saṅkhāra(行)は、いろいろな意味がある。 そのなかでも、Kamma(カルマ、業)という意味での用法も代表的な意味だ。 その場合、 Cetanā(思)=Kamma(業)=Saṅkhāra(行) なりたつ。 Buddha Dhammaの1つの公式のようなものだ。 Cetanā(思)とは、7つの…
Majjhima-Nikāya 28 Mahāhatthipadopama-sutta 中部経典28 『大象跡喩経』(だいぞうしゃくゆきょう) http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0201m.mul2.xml http://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn03/mn03c24.files/sheet001.htm Vuttaṃ kho panetaṃ bhag…
一部では有名な盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え。 これの原典もSaṃyutta-Nikāyaにあった。 これも人身受け難きこと、ブッダの説かれた正法の聞き難きを説いた教えである。 まず、地球の大地(mahāpathavī)すべてが一面の海(ekodakā)であると仮定する。 そ…
人間としてこの世に生を受けることの難しさ、仏の教えに出会うことの難しさは、様々な経典で語られている。 爪先経は、以下の様な内容である。 大地の土と爪の先にのせた土とでは、大地の土の量が圧倒的に多く、爪の先にのせた土は比べるまでもなく極少量で…
ブッダが「Samādhi(定)を修習しなさい」とおっしゃられている経典です。 そして、「Samādhiに入った比丘は如実に知る」と続きます。 何を如実に知るのでしょうか。 Rūpa(色)、Vedanā(受)、Saññā(想)、Saṅkhāra(行)、Viññāṇa(識)の五蘊の集と滅で…
Nibbāna(涅槃)とは、単に煩悩がなくなった状態という説がいる。 しかし、ここでは、ブッダははっきりと、単に煩悩がなくなったというのではなく、tadāyatana(そのようなところ)=Nibbānaがあるとおっしゃられている。 tadāyatana(そのようなところ)と…
以前は、「輪廻の中で流された涙は四大海の水より多い」という相応部の「涙経」を写経した。 <a href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049" data-mce-href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049"&g…
このUpanisa-suttaのUpanisaとは、ウパニシャッド哲学のウパニシャッドと同じ語源である。ともに「近くに座す」の意味だ。 ウパニシャッドのほうは、「師の近くに座す秘伝」のような意味合いがあるらしい。 このUpanisa-suttaのUpanisaは、どちらかというと…
Saddhammaは「正法」。Patirūpakaは、「相似の、变貌の、幻影」で、Saddhammappatirūpaka-sutta正法似非経。 偽の仏法と、仏法消滅の5法について説かれている。 このように私は聞いたー あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディ…
現在では、仏道において、Sotāpanna(預流果)、Arahat(阿羅漢)などに達し、解脱涅槃を達成しようと思うと、Samatha/Vipassanā(止観)の瞑想をするという話になる。 しかし、パーリ経典を紐解くと、瞑想せずとも、ブッダの説法を聞いただけで、あるいは、…
(使用する場合の注意) ・これは私の個人的なメモです。 正確さには気をつけていますが、間違いがある可能性がありますのでご了承ください。 使用する場合は、自己責任での使用をお願いいたします。 正確さを期すには、 ここ 巴利语辞典 Pali Dictonary や …
コメントで質問があったので、ここにも書いておきたいと思います。 パーリ語「入力」法とタイトルでは書きましたが、私は、以下に紹介するパーリ語がのっているサイトを利用して、Copy and Pasteしています。 文字コードを利用して、キーボードで入力するや…