仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

仏道の行法に「瞑想」という表現が持ちられるようになったのは、近代。

「瞑想」という日本語のルーツは、道教や英語の"meditation"のようだ。 〈冥想〉とも書く。〈冥想〉は漢語としては、目を閉じて深く思索するという意味。 東晋の支遁(あるいは支道林、314-366)の「詠懐詩」に「道会冥想を貴び、罔象 玄珠を掇る」とあり、…

Satiの力で過去世の記憶を蘇らせる

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

世界の守護者:HiriとOtappa ―Guardians of the World―

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

Paṭhamasamajīvī-sutta(パタマサマジーヴィー スッタ)―男女が生前、死後、喜びの生存を生きるには。

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

Satiの定義

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

人身受け難し(3)―Saṃyutta-Nikāya(相応部経典)の最後のセクション「第五の生殻中略の章」

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

聖なる沈黙(Ariya tuṇhībhāva)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

「子はよりどころ、妻は最上の友」―拠所経(Vatthu-sutta)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

Vipallāsa-sutta(顚倒経)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

Papañca(パパンチャ)とVipallāsa(顚倒)

Buddhābhivādanā 礼拝文 Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。 Bhājemi Pūjā 廻向偈 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Id…

Cetanā(思)=Kamma(業)=Saṅkhāra(行)

Saṅkhāra(行)は、いろいろな意味がある。 そのなかでも、Kamma(カルマ、業)という意味での用法も代表的な意味だ。 その場合、 Cetanā(思)=Kamma(業)=Saṅkhāra(行) なりたつ。 Buddha Dhammaの1つの公式のようなものだ。 Cetanā(思)とは、7つの…

「Paṭiccasamuppādaを見るものは、Dhammaを見る。Dhammaを見る者は、Paṭiccasamuppādaを見る」―Mahāhatthipadopama-sutta(大象跡喩経)他

Majjhima-Nikāya 28 Mahāhatthipadopama-sutta 中部経典28 『大象跡喩経』(だいぞうしゃくゆきょう) http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0201m.mul2.xml http://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn03/mn03c24.files/sheet001.htm Vuttaṃ kho panetaṃ bhag…

人身受け難し(2)―盲亀浮木の喩え(Dutiyachiggaḷayuga-sutta)

一部では有名な盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え。 これの原典もSaṃyutta-Nikāyaにあった。 これも人身受け難きこと、ブッダの説かれた正法の聞き難きを説いた教えである。 まず、地球の大地(mahāpathavī)すべてが一面の海(ekodakā)であると仮定する。 そ…

人身受け難し(1) Dhammapada 182、爪先経(Nakhasikha sutta)

人間としてこの世に生を受けることの難しさ、仏の教えに出会うことの難しさは、様々な経典で語られている。 爪先経は、以下の様な内容である。 大地の土と爪の先にのせた土とでは、大地の土の量が圧倒的に多く、爪の先にのせた土は比べるまでもなく極少量で…

定経(Samādhi-sutta)―「禅定に入った比丘は如実に知る」

ブッダが「Samādhi(定)を修習しなさい」とおっしゃられている経典です。 そして、「Samādhiに入った比丘は如実に知る」と続きます。 何を如実に知るのでしょうか。 Rūpa(色)、Vedanā(受)、Saññā(想)、Saṅkhāra(行)、Viññāṇa(識)の五蘊の集と滅で…

「第一涅槃関係経 Paṭhamanibbānapaṭisaṃyutta-sutta」―ブッダが涅槃について詳細に語った経典

Nibbāna(涅槃)とは、単に煩悩がなくなった状態という説がいる。 しかし、ここでは、ブッダははっきりと、単に煩悩がなくなったというのではなく、tadāyatana(そのようなところ)=Nibbānaがあるとおっしゃられている。 tadāyatana(そのようなところ)と…

輪廻のなかで流された血―三十人経(Tiṃsamatta-sutta)

以前は、「輪廻の中で流された涙は四大海の水より多い」という相応部の「涙経」を写経した。 <a href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049" data-mce-href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049"&g…

解脱の十二縁起 Upanisa-sutta(ウパニサ・スッタ 縁由経)

このUpanisa-suttaのUpanisaとは、ウパニシャッド哲学のウパニシャッドと同じ語源である。ともに「近くに座す」の意味だ。 ウパニシャッドのほうは、「師の近くに座す秘伝」のような意味合いがあるらしい。 このUpanisa-suttaのUpanisaは、どちらかというと…

「正法似非経(Saddhammappatirūpaka-sutta)」-Saṃyutta-Nikāya 2.5.13

Saddhammaは「正法」。Patirūpakaは、「相似の、变貌の、幻影」で、Saddhammappatirūpaka-sutta正法似非経。 偽の仏法と、仏法消滅の5法について説かれている。 このように私は聞いたー あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディ…

ブッダの言葉だけで悟る特殊な人々。/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)

現在では、仏道において、Sotāpanna(預流果)、Arahat(阿羅漢)などに達し、解脱涅槃を達成しようと思うと、Samatha/Vipassanā(止観)の瞑想をするという話になる。 しかし、パーリ経典を紐解くと、瞑想せずとも、ブッダの説法を聞いただけで、あるいは、…

パーリ語辞書 ver 0.05

(使用する場合の注意) ・これは私の個人的なメモです。 正確さには気をつけていますが、間違いがある可能性がありますのでご了承ください。 使用する場合は、自己責任での使用をお願いいたします。 正確さを期すには、 ここ 巴利语辞典 Pali Dictonary や …

パーリ語文字入力法

コメントで質問があったので、ここにも書いておきたいと思います。 パーリ語「入力」法とタイトルでは書きましたが、私は、以下に紹介するパーリ語がのっているサイトを利用して、Copy and Pasteしています。 文字コードを利用して、キーボードで入力するや…

Paṭṭhāna (パッターナ 二十四縁起)(Paccayuddeso)

Paṭṭhāna(パッターナ 二十四縁起) 1. Hetu-paccayo(因縁 いんねん) 2. Ārammaṇa-paccayo(所縁縁 しょえんえん) 3. Adhipati-paccayo(主縁 しゅえん)4. Anantara-paccayo(無間縁 むげんえん) 5. Samanantara-paccayo(極無間縁 ごくむげんえん) 6.…

「自灯明(Attadīpā)」の本当の意味。

ブッダの言葉である「自灯明(Attadīpā)」について。 結論から言えば、「自灯明の実践=「Satipaṭṭhāna(サティパッターナ、四念処)の実践」である。 それゆえに、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりど…

天界大全 Ver.1.0

天界について、まとめようと思いましたが、26世界もあり、大変なので、とりあえずβ版をリリースします。また、後日、追記していくかもしれません。 人間界(manussa) ↓ 欲界(Sugati スガティ) 四天王天(Catumahārājika チャトゥマハーラージカ) 忉利天…

「涙経(Assu-sutta)」 - 相応部経典 15.1.3

ブッダ: 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、母の死が経験されています。 それゆえ、母の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません…

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