仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

Dīgha-Nikāya 長部経典

Ānāpāna Sati(アーナーパーナ・サティ 安般念 出入息念)―長部経典22大念処経(Mahāsatipaṭṭhāna sutta)

Buddhābhivādanā 礼拝文 Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。 Bhājemi Pūjā 廻向偈 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。 I…

定経(Samādhi-sutta)―「禅定に入った比丘は如実に知る」

ブッダが「Samādhi(定)を修習しなさい」とおっしゃられている経典です。 そして、「Samādhiに入った比丘は如実に知る」と続きます。 何を如実に知るのでしょうか。 Rūpa(色)、Vedanā(受)、Saññā(想)、Saṅkhāra(行)、Viññāṇa(識)の五蘊の集と滅で…

「自灯明(Attadīpā)」の本当の意味。

ブッダの言葉である「自灯明(Attadīpā)」について。 結論から言えば、「自灯明の実践=「Satipaṭṭhāna(サティパッターナ、四念処)の実践」である。 それゆえに、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりど…