他人を指差すのを止めること。ースマナサーラ長老
Buddhābhivādanā 礼拝文
Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。
Bhājemi Pūjā 廻向偈
Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように
Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に廻向いたします
Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。
参考、引用:
•旧マハーカルナー法友会PDF。
•『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本
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本当の仏教徒になりたければ、すべきことは信仰ではないんです。他人を指差すのを止めることです。他人の変に見えることは、その人の生き方だから自分に関係ないんだと。そう思った途端、その人の心は平和になっちゃうんです。目の前に安心、穏やかな世界が広がるんです。
50.
Na paresaṃ vilomāni, na paresaṃ katākataṃ;
Attanova avekkheyya, katāni akatāni ca.
他人の過ち、他人のしたこと、しなかったことは気にしない。
自己を観察する。
何をしたか、何をしなかったかと。
(日本テーラワーダ仏教協会訳)
(Dhammapada 50)