仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

他人を指差すのを止めること。ースマナサーラ長老

Buddhābhivādanā 礼拝文


Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。


Bhājemi Pūjā 廻向偈


Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように
Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に廻向いたします
Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。
参考、引用:
•旧マハーカルナー法友会PDF。
•『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本
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本当の仏教徒になりたければ、すべきことは信仰ではないんです。他人を指差すのを止めることです。他人の変に見えることは、その人の生き方だから自分に関係ないんだと。そう思った途端、その人の心は平和になっちゃうんです。目の前に安心、穏やかな世界が広がるんです。

 

https://twitter.com/jtba_talk/status/868643640117051392

 

50.
Na paresaṃ vilomāni, na paresaṃ katākataṃ;
Attanova avekkheyya, katāni akatāni ca.

 

他人の過ち、他人のしたこと、しなかったことは気にしない。

自己を観察する。

何をしたか、何をしなかったかと。

日本テーラワーダ仏教協会訳)

(Dhammapada 50)

 

スマナサーラ長老、ロヒンギャ問題について。

 

 

synodos.jp

blogs.yahoo.co.jp

 

 ロヒンギャ問題は、言及するのが難しい問題だと思います。

  歴史的には経緯を見れば 、かつてミャンマーではイスラムと仏教は、共存し、深い対立はありませんでした。

  しかし、イギリスの植民地化や第二次大戦の英軍、日本軍がミャンマーの社会、宗教を歪めてしまった側面もあります。

  ミャンマー仏教徒ロヒンギャの人々も、被害者であると同時に加害者であり、単純な善玉悪玉論で語れません。

 

 どうすれば、ロヒンギャの人々、その他ミャンマーの人々が幸せに暮らせるのでしょうか。

 また、そういう状態にするには、どうすればいいのでしょうか。

 とても難しい問題だと思いました。

 ただスマナサーラ長老の最後のツイート。からは仏弟子として、外してはいけないことだと思いました。

 

スマナサーラ長老:仏教が言っているのは、良いことをすればよい結果を得る。悪いことをすれば悪い結果を得るということ。そこに宗教は関係ないんです。仏教徒ミャンマー人が人を殺したら、それは仏教に反した悪行為であり、罪を犯したこと。それで終わり。仏教を守るためにやったんだといっても、そんなのは関係ない。

 

 「仏教のため」「民族のため」といっても、暴力など、心にAkusala(不善)が生起していれば、その行為は、Akusala。

 「不善をなさず、善をなせ。心を清めよ」(ダンマパダ183)という仏道から外れています。

 この点だけは、仏弟子として、外れてはいけないポイントだと思いました。