【Saddhā】「発心正からざれば万行空しく施す 」(学道用心集)「若し道心無ければ、万行虚設なり」(永平広録)(道元禅師)
善なる清らかなSaddhā。
PureなSaddhā。
純粋なSaddhā。
燃え上がるようなアスピレーション……
最近、マハーカルナー禅師のアスピレーションに関する法話を拝聴しておりました。
道元禅師にも、そのような言葉があったような記憶が蘇りました。
検索しましたら、以下の言葉が出てきました。
・発心正からざれば万行空しく施す。
(ほっしんただしからざれば、ばんぎょうむなしくほどこす。)
『学道用心集』(第五 参禅学道は正師を求むべき事)
・若し道心無ければ、万行虚設なり。
(もしどうしんなければ、ばんぎょうきょせつなり。)
『永平広録』巻8-小参20
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7250419c76835c995915b5ad6e7746f4
道元禅師の意図とか解釈とかなると、厳密な意味はあるのでしょうが、私はこの言葉を、
「Saddhā(信)正からざれば万行空しく施す」
「若しSaddhā 無ければ、万行虚設なり」
のような意味合いで捉えたいと思いました。
誤ったSaddhā
思考によって捉えた条件付きのアスピレーション、Saddhā:
Aspiration of the Mind will never reach Nibbāna.
(※)
右、古人云く、発心(ほつしん)正しからざれば、萬行(ばんぎょう)空(むな)しく施(ほどこ)すと。誠なる哉(かな)この言(げん)。
http://gudoblog-j.blogspot.jp/2006/10/blog-post_25.html?m=1
家訓多しといえども、これ一二を挙す。謂く、先代の仏祖は、みな是れ道心の士なり。もし道心無ければ万行虚設なり。然れば則ち参学の雲水、先ず須く菩提心を発すべし。発菩提心というは乃ち度衆生心なり。先ず須く道心有るべし、次に須く慕古を具すべし、後に須く実を求むべし。これこの三種、即ち初心晩学の所学なり。永平が家訓、ただ是れかくの如し。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/184972/162834/58086349
マハーカルナー禅師の原始仏教トーク 第47回 『離見心 – いま明かす仏教修行の奥義 -』
『離見心 – いま明かす仏教修行の奥義 -』
(ポスターは宣伝等にお使いいただける場合、転載自由です)
http://mahakaruna.online/buddhismtalk
裏面より
布施、戒、定、慧の4つの修行領域において、
修行者の心には自らの境涯に応じて、
自利の想いが生じ、あるいは、
利他の想いが生じ、あるいは、
離見、離我の想いが生じます。
どんな修行を行うにせよ、
自らを利する為の自利行から、
他者を利するための利他行へ、
さらに、自我の見解を離れた離見・離我行へと、
心を浄め高めていくことが必要です。
まさにそれこそが、
仏教修行の本懐であり、奥義に他なりません。
離見・離我の修行とその心について、お話いたします。
真摯に仏教修行に取り組む私達修行者は、
この理法(ダンマ)をしっかりと身につけ、
涅槃証悟に向かってより一層の努力精進を続けていきましょう。
■日時
2018年2月3日(土)14:00~16:00(13:30より受付)
■開催場所
住所:千葉県松戸市上本郷2676-6 明市民センター ホール
アクセス:新京成線 「上本郷駅」 北口下車 徒歩約1分
参加費:無料(ご喜捨)申込不要です
コメント:
「離見心」という言葉は初めて知りました。