阿羅漢の境地―雇われ人が報酬を待つように死を待つ。
1001.
‘‘Nābhinandāmi maraṇaṃ, nābhinandāmi jīvitaṃ;
Nikkhipissaṃ imaṃ kāyaṃ, sampajāno patissato.1002.
‘‘Nābhinandāmi maraṇaṃ, nābhinandāmi jīvitaṃ;
Kālañca paṭikaṅkhāmi, nibbisaṃ bhatako yathā.
1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。正知と気づきの者として、この身体を置き去りにするであろう。
1002.(1003) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
(正田大観訳)
小部経典 テーラガーター 17章三十なるものの集まり サーリプッタ長老の詩偈
Khuddakanikāya Theragāthāpāḷi 17. Tiṃsanipāto 2. Sāriputtattheragāthā
阿羅漢においては、一切の煩悩が根絶されている。
雇われ人が報酬を待つように淡々と死―阿羅漢の場合はそれが輪廻からの解脱―Parinibbāna(般涅槃)になる―を待つというサーリプッタ長老の偈文。
この「雇われ者が報酬を〔待つ〕ように…」というフレーズは、テーラガーターでは、上記のサーリプッタ長老の詩偈以外にも「11.1.1 サンキッチャ長老の詩偈」「14.1.1 カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老の詩偈」「15.1.1 アンニャーシ・コンダンニャ長老の詩偈」にも見られるフレーズである。
「物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ」(スッタニパータ第五章)―仏道修行のゴール2
物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。(Jahassu rūpaṃ apunabbhavāya)
渇愛を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。(jahassu taṇhaṃ apunabbhavāyā)
これも、「Dukkha(苦)からの解放は、肉体と渇愛を捨てさって、もう二度と生まれ変わらない般涅槃(Parinibbāna)で完成する」という経典。
何百ページもあるBuddha Dhammaの入門書でも、「なにが修行の目的なのか」「なにが修行のゴールなのか」がわかりづらい本もある。
ブッダは、このような短い問答のなかでも、まったくもったいぶらずにズバッと最終目的地をお示しになられており、その端的さに感動した。
Khuddakanikāya Suttanipātapāḷi 5. Pārāyanavaggo
小部経典 スッタニパータ 5章 彼岸品
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1120 ビンギヤさんがたずねた、
「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるのですか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」1121 師(ブッダ)は答えた、
「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病などに)悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」1122 「四方と四維と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識られないものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、──どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」
1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」(中村元訳)
16. Piṅgiyamāṇavapucchā
1126.
‘‘Jiṇṇohamasmi abalo vītavaṇṇo, (iccāyasmā piṅgiyo)
Nettā na suddhā savanaṃ na phāsu;
Māhaṃ nassaṃ momuho antarāva
Ācikkha dhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ;
Jātijarāya idha vippahānaṃ’’.1127.
‘‘Disvāna rūpesu vihaññamāne, (piṅgiyāti bhagavā)
Ruppanti rūpesu janā pamattā;
Tasmā tuvaṃ piṅgiya appamatto,
Jahassu rūpaṃ apunabbhavāya’’.1128.
‘‘Disā catasso vidisā catasso, uddhaṃ adho dasa disā imāyo;
Na tuyhaṃ adiṭṭhaṃ asutaṃ amutaṃ [asutaṃ amutaṃ vā (sī.), asutāmutaṃ vā (syā.), asutaṃ’mutaṃ vā (pī.)], atho aviññātaṃ kiñcanamatthi [kiñci matthi (syā.), kiñci natthi (pī.), kiñcinamatthi (ka.)] loke;
Ācikkha dhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ, jātijarāya idha vippahānaṃ’’.1129.
‘‘Taṇhādhipanne manuje pekkhamāno, (piṅgiyāti bhagavā)
Santāpajāte jarasā parete;
Tasmā tuvaṃ piṅgiya appamatto, jahassu taṇhaṃ apunabbhavāyā’’ti.
出典: