仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

Khuddaka-Nikāya 小部経典

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク 第48回 『 Saddhā – 仏教の信を科学する 』

Buddhābhivādanā 礼拝文 Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。 Bhājemi Pūjā 廻向偈 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。 I…

他人を指差すのを止めること。ースマナサーラ長老

Buddhābhivādanā 礼拝文 Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。 Bhājemi Pūjā 廻向偈 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Id…

無我論(1)―ブッダが否定した我(Atta)とは?

ブッダの言葉 279.‘‘Sabbe dhammā anattā’’ti, yadā paññāya passati;Atha nibbindati dukkhe, esa maggo visuddhiyā. ダンマパダ 279 あらゆる法は、無我なり(Sabbe dhammā anattā)、と 智慧を持って観るときに かれは苦を厭い離れる これ清浄にいたる道…

人身受け難し(1) Dhammapada 182、爪先経(Nakhasikha sutta)

人間としてこの世に生を受けることの難しさ、仏の教えに出会うことの難しさは、様々な経典で語られている。 爪先経は、以下の様な内容である。 大地の土と爪の先にのせた土とでは、大地の土の量が圧倒的に多く、爪の先にのせた土は比べるまでもなく極少量で…

「第一涅槃関係経 Paṭhamanibbānapaṭisaṃyutta-sutta」―ブッダが涅槃について詳細に語った経典

Nibbāna(涅槃)とは、単に煩悩がなくなった状態という説がいる。 しかし、ここでは、ブッダははっきりと、単に煩悩がなくなったというのではなく、tadāyatana(そのようなところ)=Nibbānaがあるとおっしゃられている。 tadāyatana(そのようなところ)と…