仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク 第48回 『 Saddhā – 仏教の信を科学する 』

Buddhābhivādanā 礼拝文


Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。


Bhājemi Pūjā 廻向偈


Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。


Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように


Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に廻向いたします


Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。


参考、引用:
•旧マハーカルナー法友会PDF。
•『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本
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 ‪原始仏教トーク 第48回 『 Saddhā – 仏教の信を科学する 』 2018年3月3日(千葉県) - こくちーずプロ(告知'sプロ) http://www.kokuchpro.com/event/b2f5566858d7116257ca82d8f7eae0ed/

仏教の信は盲信ではなく、自分の正しい判断によって確認し、納得して得た確信である」

テーラワーダ ではSaddhāについて、長らくそう説かれてきました。

 

本当にそうでしょうか?

 

「信がないものは禅定に入ることができない」

と伝えられているように、

仏教を実践する私たちにとって、正しい信を身につけることは、何よりも重要です。

 

今回の原始仏教トークでは、

お釈迦様の説かれた信とは、本当はどういうものだったか、

現代に生きるわたし達は、信をどのように捉えるべきかについて徹底検証いたします。

ぜひこの機会に、信を正しく理解し、日々の瞑想修行をより実りあるものにしていきましょう。

 

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中村元ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫 iBooks

感興のことば 第十章 信仰)

 

  全開の原始仏教トークの「離見心」

NekkhamaのKeyのひとつがSaddhāでした。

  現代で一番わかりにくい部分のひとつであると思います。

  私自身よくわらない領域なので、ご法話を是非拝聴したいです。

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

 

 

【Saddhā】「発心正からざれば万行空しく施す 」(学道用心集)「若し道心無ければ、万行虚設なり」(永平広録)(道元禅師)

 

善なる清らかなSaddhā。

PureなSaddhā。

純粋なSaddhā。

燃え上がるようなアスピレーション……

 

最近、マハーカルナー禅師のアスピレーションに関する法話を拝聴しておりました。

道元禅師にも、そのような言葉があったような記憶が蘇りました。

検索しましたら、以下の言葉が出てきました。

 

・発心正からざれば万行空しく施す。

(ほっしんただしからざれば、ばんぎょうむなしくほどこす。)

 『学道用心集』(第五 参禅学道は正師を求むべき事)
・若し道心無ければ、万行虚設なり。 

(もしどうしんなければ、ばんぎょうきょせつなり。)

『永平広録』巻8-小参20

 http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7250419c76835c995915b5ad6e7746f4

 

道元禅師の意図とか解釈とかなると、厳密な意味はあるのでしょうが、私はこの言葉を、

「Saddhā(信)正からざれば万行空しく施す」

「若しSaddhā 無ければ、万行虚設なり」

 のような意味合いで捉えたいと思いました。

 

誤ったSaddhā

思考によって捉えた条件付きのアスピレーション、Saddhā:

https://youtu.be/9uLtxJlHv3Q

 

Aspiration of the Mind will never reach Nibbāna.

 

(※)

右、古人云く、発心(ほつしん)正しからざれば、萬行(ばんぎょう)空(むな)しく施(ほどこ)すと。誠なる哉(かな)この言(げん)。

http://gudoblog-j.blogspot.jp/2006/10/blog-post_25.html?m=1

 

家訓多しといえども、これ一二を挙す。謂く、先代の仏祖は、みな是れ道心の士なり。もし道心無ければ万行虚設なり。然れば則ち参学の雲水、先ず須く菩提心を発すべし。発菩提心というは乃ち度衆生心なり。先ず須く道心有るべし、次に須く慕古を具すべし、後に須く実を求むべし。これこの三種、即ち初心晩学の所学なり。永平が家訓、ただ是れかくの如し。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/184972/162834/58086349 

 

 

語録 (原文対照現代語訳 道元禅師全集)

語録 (原文対照現代語訳 道元禅師全集)

 

 

 

原文対照現代語訳・道元禅師全集〈第12巻〉永平広録3

原文対照現代語訳・道元禅師全集〈第12巻〉永平広録3