仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

原始仏教トーク#52「Jarā(老い) ー 時の流れを味方につける」

Buddhābhivādanā 礼拝文


Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。


Bhājemi Pūjā 廻向偈


Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。


Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように


Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に廻向いたします


Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。


参考、引用:
•『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本など
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詳細

https://www.kokuchpro.com/event/gb52/

 

自身に迫り来る老いを実感すると、

明るい未来への希望が、急にしぼんでしまいます。

私達の心から、生きるエネルギーが失われていきます。

 

老いていくこと」は、誰もが持っている、

決して逃れることのできない本源的な苦ですが、

仏教徒は、一切の現象の中に内在する「老い」の本質を見抜いて、

それを上手に前進力に変えていく力を持っています。

 

老い」や「死」には、

陽が昇り、やがて沈んで夜を迎え、

また夜が明けて陽が昇り、という以上の意味はありません。

今生でも、来世でも、またその次の世でも、

ずっと同じ目標を持ち続けて前進していく。

 

お釈迦さまの弟子なら、

「無常」も「老い」も「死」も乗り越えて、

涅槃証悟に至る一本道を、着実に一歩一歩、歩み続けていけばよいのです。