仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

その言葉の意味を本当に理解しているのか?

  昔、法友の方が「ある言葉を本当に理解しているかは、結局、中学2年生にも説明できるかどうかなんだ」と言われていた。

  つまり、自分で、わかっているつもりでも、中学2年生がわかるように説明できなければ、本当は自分でも理解していないということだ。

  高度な物理や数学など、例外はあると思うが、一理ある考え方だと思う。

  というか、そういう観点で行くと、世の中、そもそもはっきりした定義のない曖昧な言葉がいっぱいあることに気づく。

  例えば、「宗教」とか、「瞑想」とか、「悟り」とか。

  私は、基本、そういった定義の曖昧な言葉を使うことはできる限り避けている。

  使わないとコミュニケーションが成り立たないということもあるので、絶対使わないということは難しいが……。


  ちなみにそういう観点で見て行くと、スマナサーラ長老は、だいたい中学生くらいにも理解できる言葉で、説法なさっていると、私は思う。