仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

精神世界で避けたほうがよい指導者。(私見)

 精神世界の指導者の話です。
 私の経験からの個人的な意見です。
 どういう指導者がよいかというのは、難しいので、逆にこれは避けておいてほうがよいという指導者の特徴を考えてみます。

 

増上慢
言行不一致(言葉とやっていることが対応していない)。自分の言葉に対する責任感がない。

 

 この特徴をもっている指導者は避けたほうがよいです。
 大きな損害、被害を受ける可能性があります。

 順番に説明します。

 

 1点目。増上慢から。
 増上慢とは、「わたしはあなたより優れていますよ」という不善心です。
 パーリ語でAtimānaといいます。
 「私はこんな瞑想体験をしたから、すごい!あなたたちより優れている!」「わたしはこんな知識をもっているから、すごい!あなたたちより、優れている!」
 ここまで、はっきり言うことはないでしょうが、言下に指導者にこういう感情を感じられたら、避けておいたほうが、よいです。
 純粋な慈や悲の感情から、人にものを教えているのではなく、「自分はすごい!」というエゴを満たすために人に教えている可能性があります。
 人を教えて、人の思考や行動をコントロールすることで、人を支配しようとするのですね。支配することで、「自分はすごい」というエゴを満たします。独裁者と同じです。
 具体的なケースを見ていると、初めは、「利他行、人様のために」とやっている人でも、いつの間にかこのケースに陥っているケースもあるような気がします。

 

 具体的な行動として、

 

・自分の体験談(自慢話)
・伝統から逸脱した我流のメソッド(「俺」の開発したすごいメソッド)

 こういう傾向が出始めてきたら、注意したほうがいいと思います。

 

 2点目。
・言行不一致(言葉とやっていることが対応していない)。
 自分の言葉に対する責任感がない。

 

 これは、そのままです。
 例えば、瞑想とかなら、自分の人生のなかで、結構な時間と労力を投入しないと、なかなか結果はでないわけです。
 当然、教える方は、責任が生じるわけで、その責任をどのくらい自覚しているかということです。
 たとえば、小さな子どもをあずかれば、大袈裟にいって、その子の命をあずかっているわけです。その子が大怪我をしたり、事故に合わないように、ケアしないといけない。
 大人がやる瞑想やDhammaの勉強も同じで、これは人生の問題なのだから、教える指導者は、当然、ある意味、その人の人生をあずかっていることになるわけです。その人の人生に対する責任が生じてくる。
 Dhammaや瞑想をやって、逆にその人がおかしな方向にいったときに「私は知りません」。
 そういう無責任な指導者は避けておいたほうがいいですね。
 心身ともに傷つくことになると思います。
 そして、その傷が癒えるまでは、何年、何十年長い時間がかかるかもしれません。

 長くなりましたが、例えば、「○○をやります」と言って、やらないケースとか、こういうのは言行不一致です。
 そして、「○○をやります」と言って、やらない場合、やらないことにたいするケアをするのか、しないのか、そういうので、その指導者の自分の言葉に対する責任感がわかると思います。
 あとは、「○○という教えがあります」と言って、出典、その教えの出どころがよくわからない(自分でもよくわかっていない)ことを言う指導者です。
 出典が不明ということは、出典に書いてある通りではなく、その人の思い込みや思い違いでものを言っている可能性があります。
 そうならないように、まともな指導者なら、ちゃんと、出典と自分の認識が一致しているかを確認した上で発言します。
 自分の言葉に責任感がない人は、自分の言葉を聞いた人がどうなっても、本音の部分では、あまり気にしていませんから、そういった出典と自分の認識との照合という作業はしていない傾向があると思います。

 上の増上慢と関連してきますが、責任感なく、「自分はすごい!」ということを誇示するためだけに、事実や現実と異なる無責任な発言を連発する指導者、そういう人のもとについていたら、「裏切られた!」とか「そんなことは経典にそもそも書いてない!」となって傷つく可能性が極めて高いです。

 

 まとめますが、
増上慢
・言行不一致(言葉とやっていることが対応していない)。自分の言葉に対する責任感がない。
 私の個人的意見となりますが、この特徴を持つ指導者は、「裏切られた!」となって、心身ともに傷つく可能性、
自分がその指導者のもとについて、修行のために費やしてきた、時間や労力が無駄になる可能性があると思います。