仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

衆生済度について―第二魔罠経(Dutiyamārapāsasuttaṃ)

 

Saṃyuttanikāya 1.Sagāthāvaggapāḷi 4. Mārasaṃyuttaṃ 5.Dutiyamārapāsasuttaṃ

相応部経典 1.有偈篇 4.悪魔相応 5.第二魔罠経

 

‘‘Muttāhaṃ, bhikkhave, sabbapāsehi ye dibbā ye ca mānusā.

Tumhepi, bhikkhave, muttā sabbapāsehi ye dibbā ye ca mānusā. Caratha, bhikkhave, cārikaṃ bahujanahitāya bahujanasukhāya lokānukampāya atthāya hitāya sukhāya devamanussānaṃ.

Mā ekena dve agamittha.

Desetha, bhikkhave, dhammaṃ ādikalyāṇaṃ majjhekalyāṇaṃ pariyosānakalyāṇaṃ sātthaṃ sabyañjanaṃ kevalaparipuṇṇaṃ parisuddhaṃ brahmacariyaṃ pakāsetha.

Santi sattā apparajakkhajātikā, assavanatā dhammassa parihāyanti. Bhavissanti dhammassa aññātāro.

Ahampi, bhikkhave, yena uruvelā senānigamo tenupasaṅkamissāmi dhammadesanāyā’’

 

「比丘たちよ、私は、天のものも、人間のものも、あらゆる魔罠(まみん)を脱しています。
比丘たちよ、そなたたちもまた、天のものも、人間のものも、あらゆる魔罠を脱しています。
比丘たちよ多くの人びとの利益のため、多くの人びとの安楽のために、世界への憐れみのため、人・天の繁栄のために、利益のため、安楽のために、遊行しなさい。二人して一緒に行ってはなりません。
比丘たちよ、初めもよく、中間もよく、終わりもよい、内容もよく、形式もよい、完全無欠で、清浄な法を示しなさい。梵行を明らかにしなさい。汚れのない少ない生けるものたちがいます。法を聞くことがないために衰退していますが、法をよく理解する者となるでしょう。
比丘たちよ、私も説法のために、ウルヴェーラに近いセーナーニガマへ行くつもりです」

 

『パーリ仏典 相応部(サンユッタニカーヤ) 有偈篇II』 片山一良訳 大蔵出版 p.48-49

 

 Mārapāsa(魔罠、まみん)とは、この経典のひとつ手前の第二魔罠経(Paṭhamamārapāsasuttaṃ)の註釈によれば、煩悩の罠(Kilesa-pāsa)ということだそうです。

 「そなたたちもまた、天のものも、人間のものも、あらゆる魔罠を脱しています」とあるように、この経典は煩悩を根絶した阿羅漢方に説かれた経典のようです。

 

 ブッダ衆生の安楽を願う美しく清らかなKaruṇā(悲)の心が伝わってきます。

 こういうブッダの清らかな言葉を読みますと、こちらの心もおちついて、Kusalaになっていくような思いが気がします。

 

相応部(サンユッタニカーヤ)有偈篇〈2〉 (パーリ仏典)

相応部(サンユッタニカーヤ)有偈篇〈2〉 (パーリ仏典)