仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

人身受け難し(3)―Saṃyutta-Nikāya(相応部経典)の最後のセクション「第五の生殻中略の章」

Buddhābhivādanā 礼拝文
Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.
阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。
Bhājemi Pūjā 廻向偈
Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.
この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu.
この功徳によって、涅槃に導かれますように
Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi.
この功徳を、生きとし生ける一切の衆生に回向いたします
Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu.
彼等が、あまねくこの功徳を享受できますように。
参考、引用:
http://paauk.jp/2_1_uposatha.html
内PDFファイル
http://paauk.jp/doc/8silam.pdf
『モービー僧院読誦経』(はらみつ法友会)施本
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Saṃyutta-Nikāya 5.Mahā-vagga 12.Sacca-saṃyutta 11.Pañcagatipeyyāla-vagga
相応部経典 5.大篇 12.諦相応(56) 11章.第五の生殻中略の章

http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0305m.mul11.xml

 

第一節
世尊は、爪の先に少量の塵を載せてから、比丘たちに語りかけた。
「比丘たちよ、それをどのように考えますか。わたしが爪の先にのせた少量の塵とこの大地とではどちらがより多大でしょうか」と。
「尊き師よ、ほかならぬこの大地のほうが多大です。尊き師が爪の先にのせた少量の塵はごくわずかにすぎません。
この大地に比して、尊き師が爪先にのせた少量の塵は計算に及ばず、比するに及ばず、ほんの一部にも及びません」
「比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、人間界で生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して地獄界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
[それはどのような理由でしょうか。
比丘たちよ、四聖諦が見られていないからです。どのような4つでしょうか。苦諦、苦集諦、苦滅諦、苦滅道諦です。
比丘たちよ、だからここで「これが苦である」という集中が作られるべきです。
「これが苦しみの原因である」という集中が作られるべきです。
「これが苦しみの滅である」という集中が作られるべきです。
「これが苦しみを滅する道である」という集中が作られるべきです。]」

 

1. Manussacutiniraya-sutta

1172. Atha kho bhagavā parittaṃ nakhasikhāyaṃ paṃsuṃ āropetvā bhikkhū āmantesi – ‘‘taṃ kiṃ maññatha, bhikkhave, katamaṃ nu kho bahutaraṃ – yo vāyaṃ mayā paritto nakhasikhāyaṃ paṃsu āropito, ayaṃ vā mahāpathavī’’ti? ‘‘Etadeva, bhante, bahutaraṃ, yadidaṃ – mahāpathavī; appamattakāyaṃ bhagavatā paritto nakhasikhāyaṃ paṃsu āropito. Saṅkhampi na upeti, upanidhampi na upeti, kalabhāgampi na upeti mahāpathaviṃ upanidhāya bhagavatā paritto nakhasikhāyaṃ paṃsu āropito’’ti. Evameva kho, bhikkhave, appakā te sattā ye manussā cutā manussesu paccājāyanti; atha kho eteva bahutarā sattā ye manussā cutā niraye paccājāyanti…pe…. Paṭhamaṃ.

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第二節
比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、人間界で生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して畜生界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
…(以下、四聖諦を看破することの必要性について)

 

2. Manussacutitiracchāna-sutta

1173. …Pe… ‘‘evameva kho, bhikkhave, appakā te sattā ye manussā cutā manussesu paccājāyanti; atha kho eteva bahutarā sattā ye manussā cutā tiracchānayoniyā paccājāyanti…pe…. Dutiyaṃ.

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第三節
比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、人間界で生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して餓鬼界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
…(以下、四聖諦を看破することの必要性について)

 

3. Manussacutipettivisayasuttaṃ

1174. …Pe… ‘‘evameva kho, bhikkhave, appakā te sattā ye manussā cutā manussesu paccājāyanti; atha kho eteva bahutarā sattā ye manussā cutā pettivisaye paccājāyanti…pe…. Tatiyaṃ.

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第四節
比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、天界に生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して地獄界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
…(以下、四聖諦を看破することの必要性について)

 

第五節
比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、天界に生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して畜生界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
…(以下、四聖諦を看破することの必要性について)

 

第六節
比丘たちよ、ほかならぬこのように、人間界で没して、天界に生まれ変わる生き物たちはごくわずかです。そして、人間界で没して餓鬼界に生まれ変わる生き物たち、ほかならぬこれらは多数なのです。
…(以下、四聖諦を看破することの必要性について)

 

4-5-6. Manussacutidevanirayādisuttaṃ

1175-1177. …Pe… ‘‘evameva kho, bhikkhave, appakā te sattā ye manussā cutā devesu paccājāyanti; atha kho eteva bahutarā sattā ye manussā cutā niraye paccājāyanti…pe… tiracchānayoniyā paccājāyanti…pe… pettivisaye paccājāyanti…pe…. Chaṭṭhaṃ.

 

中村元監修『相応部経典 第六巻』(春秋社)p647-651

 

 このPañcagatipeyyāla-vagga(第五の生殻中略の章)には、人間の死後の再生先、天界の衆生の死後の再生先など、それぞれの境涯ごとの生まれ変わり先について書かれています。 

 ここでも、ゴータマ・ブッダは人身を得ることの難しさを説かれています。

 そして、四聖諦を看破することの必要性を説かれています。

 個人的にこれがSaṃyutta-Nikāya(相応部経典)の最後のセクションに出てくることが興味深いです。

 この人身を得ることの難しさ、再生先の話で膨大な量のSaṃyutta-Nikāyaは終わりと…。

 

 最近、人身受け難し関連でPañña-adhika sayalayが訳されたパオ・セヤドーの以下の記事が衝撃的でした。

 

yamaneko.hatenablog.jp

 

 あと、マハーカルナー禅師が2015.6.7の原始仏教トーク17回 『ウェーサカ祭〜ブッダの誕生・成道と涅槃証悟〜』でおっしゃられていたことも印象的でした。

 腑に落ちるものがありました。

 

マハーカルナー禅師

「私はこういうイメージを持っている。

5万人の観客が東京ドームで野球を観戦している。

その中で次の生で人間に再生できるのは数十人。

天界に再生できるのは数人」

 

zhaozhou-zenji.hatenablog.com

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相応部経典 第六巻 (原始仏典II)

相応部経典 第六巻 (原始仏典II)