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仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

「第一涅槃関係経 Paṭhamanibbānapaṭisaṃyutta-sutta」―ブッダが涅槃について詳細に語った経典

Khuddaka-Nikāya 小部経典

 Nibbāna(涅槃)とは、単に煩悩がなくなった状態という説がいる。

 しかし、ここでは、ブッダははっきりと、単に煩悩がなくなったというのではなく、tadāyatana(そのようなところ)=Nibbānaがあるとおっしゃられている。

 tadāyatana(そのようなところ)とは、どういうところだろうか?

 それは、一切の物質的現象も精神的現象もない、原因によって、生まれたり、死んだりしない、つまり、生成消滅が止み、縁起というものがないyatana(ところ、処)である。

 一切の因果、因縁が消滅したyatanaである。

 そして、非常に重要なことに、それが「苦の終焉(Esevanto dukkhassā)」であると宣言している。

 言語の表現できるギリギリを表現した経典といえる。

 

Khuddaka-Nikāya 3.Udānapāḷi 8. Pāṭaligāmiyavaggo

小部経典 3.自説 8章 パータリ村の者たちの章

 

71.第一涅槃関係経

1. Paṭhamanibbānapaṭisaṃyutta-sutta

 

Atthi, bhikkhave, tadāyatanaṃ,

yattha neva pathavī, na āpo, na tejo, na vāyo,

na ākāsānañcāyatanaṃ, na viññāṇañcāyatanaṃ, na ākiñcaññāyatanaṃ, na nevasaññānāsaññāyatanaṃ,

nāyaṃ loko, na paraloko,

na ubho candimasūriyā.

Tatrāpāhaṃ, bhikkhave, neva āgatiṃ vadāmi , na gatiṃ, na ṭhitiṃ, na cutiṃ, na upapattiṃ; appatiṭṭhaṃ,appavattaṃ, anārammaṇamevetaṃ.

Esevanto dukkhassā’’ti. Paṭhamaṃ.

 

 比丘たちよ。このような境地があります。

 すなわち、pathavī(地)、āpo(水)、tejo(火)、vāyo(風)はない。

 ākāsānañcāyatanaṃ(空無辺処)、viññāṇañcāyatanaṃ(識無辺処)、ākiñcaññāyatanaṃ(無所有処)、nevasaññānāsaññāyatanaṃ(非想非非想処)もない。(注:心のみの存在もない)

loko(この世)でもparaloko(あの世)でもない。

 candimasūriyā(太陽、月)もない。(注:宇宙の場所でもない)

 そのような境地に対して、私は、行くことも、戻ることも(gatiṃ)、居ること(ṭhitiṃ)も、死ぬこと(cutiṃ)も、再び生まれること(upapattiṃ)も、支えるものも(appatiṭṭhaṃ)、転起(※appavattaṃ)もないと言います。

 また、認識の対象にもならない(anārammaṇamevetaṃ)。

 しかし、これが苦の終焉(Esevanto dukkhassā)である。

スマナサーラ長老訳)『智慧は人生の羅針盤』p.201

※appavattaṃ(アッパワッタン、転起)とは、因縁によって、生起すること、因縁によって生じて変化するの意。

 

 

73.第三涅槃関係経

3. Tatiyanibbānapaṭisaṃyutta-sutta

 

Atthi, bhikkhave, ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ.

No cetaṃ, bhikkhave, abhavissa ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ, nayidha jātassa bhūtassa katassa saṅkhatassa nissaraṇaṃ paññāyetha.

Yasmā ca kho, bhikkhave, atthi ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ,

tasmā jātassa bhūtassa katassa saṅkhatassa nissaraṇaṃ paññāyatī’’ti. Tatiyaṃ

 

 比丘たちよ、もし、その、生じたものではなく(ajātaṃ)、成る、起こるものではなく(abhūtaṃ)、作り為されたものではなく(akataṃ)、原因によって形成されたものではないもの(asaṅkhataṃ)(涅槃)が有ることなくあったなら、

 ここに、「生じたもの(jātassa)」「成る、起こるもの(bhūtassa)」「作り為されたもの(katassa)」「形成されたもの(saṅkhatassa)」からの出離(nissaraṇa)は覚知(paññāyatī)されないであろう。

 比丘たちよ、しかしながら、すなわち、まさに、生じたものではなく(ajātaṃ)、成る、起こるものではなく(abhūtaṃ)、作り為されたものではなく(akataṃ)、原因によって形成されたものではないもの(asaṅkhataṃ)(涅槃)が存在することから、それゆえに、「生じたもの(jātassa)」「成る、起こるもの(bhūtassa)」「作り為されたもの(katassa)」「形成されたもの(saṅkhatassa)」からの出離(nissaraṇaṃ)が覚知される。

(正田大観訳とスマナサーラ長老訳を参考に訳文を作成)

 

http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0503m.mul7.xml

 

 

智慧は人生の羅針盤 (お釈迦さまが教えたこと)

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