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仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

「涙経(Assu-sutta)」 - 相応部経典 15.1.3

ブッダ:

 

比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、母の死が経験されています。

それゆえ、母の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。

(相応部経典 15.1.3)

 

 ビク・モネイヤの「パオ森林僧院における教えと修行」という法話に載っていました。 

 輪廻(Saṃsāra)の中で流した涙は、4つの海の水より多いというブッダの説示。

 

 このように私は聞いたー

 あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディカ僧院に住んでおられた。
 そこで、世尊は、比丘たちに話しかけられた。
 「比丘たちよ」と。
 「尊い方よ」と、かれら比丘は世尊に答えた。
 世尊は次のように言われた。
 「比丘たちよ、この輪廻は無始のものです。無明に覆われ、渇愛に縛られ、流転し、輪廻している生けるものたちに、前際は認められません。
 比丘たちよ、そのことをどう思いますか。つまり、この長い間、流転し、輪廻し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙と、四大海の水とでは、どちらが多いかということです」と。
 「尊師よ、私どもは世尊が説示されました法のとおりに理解いたします。尊師よ、この長い間、流転し、輪廻し、快くないものとの出会いにより、快くないものとの別離により、号泣し、泣いてきた私どもに流れ、漏れでた涙こそ多く、四大海の水の比ではありません」と。
 「比丘たちよ、そのとおりです。そのとおりです。比丘たちよ、そのとおりです。そなたたちは、私が説示した法をその通りに理解しています。
 この長い間、流転し、輪廻し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙と、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、母の死が経験されています。それゆえ、母の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、父の死が経験されています。それゆえ、父の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、兄弟の死が経験されています。それゆえ、兄弟の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、姉妹の死が経験されています。それゆえ、姉妹の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、息子の死が経験されています。それゆえ、息子の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、娘の死が経験されています。それゆえ、娘の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、親族の災厄が経験されています。それゆえ、親族の災厄を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、財産の災厄が経験されています。それゆえ、財産の災厄を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、病気の災厄が経験されています。それゆえ、病気の災厄を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません。
 それはなぜか。比丘たちよ、この輪廻は無始のものだからです。無明に覆われ、渇愛に縛られ、流転し、輪廻している生けるものたちに、前際は認められません。
 比丘たちよ、このように長い間、そなたちは、苦を受け、苦痛を受け、災厄を受け、墓場が増大しています。
 比丘たちよ、そうである限り、一切の行について、厭うことが適切です。解脱することが適切です」と。

(片山一良訳より引用) 

ーー相応部経典 因縁篇 4.無始相応 1.3

 

3. Assusuttaṃ

126. Sāvatthiyaṃ viharati…pe… ‘‘anamataggoyaṃ, bhikkhave, saṃsāro. Pubbā koṭi na paññāyati avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ. Taṃ kiṃ maññatha, bhikkhave, katamaṃ nu kho bahutaraṃ, yaṃ vā vo iminā dīghena addhunā sandhāvataṃ saṃsarataṃ amanāpasampayogā manāpavippayogā kandantānaṃ rodantānaṃ [rudantānaṃ (sī.)] assu passannaṃ [passandaṃ (ka. sī.), pasandaṃ (syā. kaṃ.), pasannaṃ (pī. ka.)] paggharitaṃ, yaṃ vā catūsu mahāsamuddesu udaka’’nti? ‘‘Yathā kho mayaṃ, bhante, bhagavatā dhammaṃ desitaṃ ājānāma, etadeva, bhante, bahutaraṃ yaṃ no iminā dīghena addhunā sandhāvataṃ saṃsarataṃ amanāpasampayogā manāpavippayogā kandantānaṃ rodantānaṃ assu passannaṃ paggharitaṃ, na tveva catūsu mahāsamuddesu udaka’’nti.

‘‘Sādhu sādhu, bhikkhave, sādhu kho me tumhe, bhikkhave, evaṃ dhammaṃ desitaṃ ājānātha. Etadeva, bhikkhave, bahutaraṃ yaṃ vo iminā dīghena addhunā sandhāvataṃ saṃsarataṃ amanāpasampayogā manāpavippayogā kandantānaṃ rodantānaṃ assu passannaṃ paggharitaṃ, na tveva catūsu mahāsamuddesu udakaṃ. Dīgharattaṃ vo, bhikkhave, mātumaraṇaṃ paccanubhūtaṃ; tesaṃ vā mātumaraṇaṃ paccanubhontānaṃ amanāpasampayogā manāpavippayogā kandantānaṃ rodantānaṃ assu passannaṃ paggharitaṃ, na tveva catūsu mahāsamuddesu udakaṃ. Dīgharattaṃ vo, bhikkhave, pitumaraṇaṃ paccanubhūtaṃ …pe… bhātumaraṇaṃ paccanubhūtaṃ… bhaginimaraṇaṃ paccanubhūtaṃ… puttamaraṇaṃ paccanubhūtaṃ… dhītumaraṇaṃ paccanubhūtaṃ… ñātibyasanaṃ paccanubhūtaṃ… bhogabyasanaṃ paccanubhūtaṃ. Dīgharattaṃ vo, bhikkhave , rogabyasanaṃ paccanubhūtaṃ, tesaṃ vo rogabyasanaṃ paccanubhontānaṃ amanāpasampayogā manāpavippayogā kandantānaṃ rodantānaṃ assu passannaṃ paggharitaṃ, na tveva catūsu mahāsamuddesu udakaṃ. Taṃ kissa hetu? Anamataggoyaṃ, bhikkhave, saṃsāro …pe… yāvañcidaṃ, bhikkhave, alameva sabbasaṅkhāresu nibbindituṃ, alaṃ virajjituṃ, alaṃ vimuccitu’’nti. Tatiyaṃ.

 

http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0302m.mul3.xml

Saṃyutta-Nikāya Nidānavaggapāḷi 4. Anamataggasaṃyuttaṃ 1.3

 

 cf.「束縛経」。

 巨大な海が干上がり、消えて無くなる時がいつかは来るでしょう。巨大な大地が火に呑まれ、消えて無くなる時がいつかは来るでしょう。それでもなお無明に妨げられ、渇愛にとらわれて、再生の輪をさ迷い、徘徊し続ける衆生の苦しみに終わりが来ることはない
でしょう。

ーー相応部経典 22.99(蘊篇 蘊相応 99)

 

7. Gaddulabaddhasuttaṃ

99. Sāvatthinidānaṃ. ‘‘Anamataggoyaṃ, bhikkhave, saṃsāro. Pubbā koṭi na paññāyati avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ. Hoti so, bhikkhave, samayo yaṃ mahāsamuddo ussussati visussati na bhavati; na tvevāhaṃ, bhikkhave, avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ dukkhassa antakiriyaṃ vadāmi. Hoti so, bhikkhave, samayo yaṃ sineru pabbatarājā ḍayhati vinassati na bhavati; na tvevāhaṃ, bhikkhave, avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ dukkhassa antakiriyaṃ vadāmi. Hoti so, bhikkhave, samayo yaṃ mahāpathavī ḍayhati vinassati na bhavati; na tvevāhaṃ, bhikkhave, avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ dukkhassa antakiriyaṃ vadāmi’’.

 

ーーSaṃyutta-Nikāya Khandhavaggapāḷi Khandhasaṃyuttaṃ 99

http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0303m.mul0.xml

 

パーリ語註釈

 "mahāsamudda":the ocean、海。

 

参考:「パオ森林僧院における教えと修行」 

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関連:

zhaozhou-zenji.hatenablog.com

 

出典:

相応部(サンユッタニカーヤ) 因縁篇II (パーリ仏典 第3期4)

相応部(サンユッタニカーヤ) 因縁篇II (パーリ仏典 第3期4)

 

 http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/05/31/095834

(2015-03-03 22:50:49に投稿。)