仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

天界大全 Ver.1.0

 天界について、まとめようと思いましたが、26世界もあり、大変なので、とりあえずβ版をリリースします。また、後日、追記していくかもしれません。

 

人間界(manussa)

欲界(Sugati スガティ)

四天王天(Catumahārājika チャトゥマハーラージカ)

忉利天(Tāvatiṃsa ターワティンサ)
夜摩天(Yāma)
兜率天(tusita トゥシタ)
化楽天[楽変化天](Nimmānarati ニンマーナラティ)
他化自在天(Paranimmita-vasavatti パラニンミタ・ワサワッティ)

他化自在とは自分の思い通りに(vasavatti)他人に(para)化作(nimmita)させるの意味で、前の化楽天では自己が化作したのであるが、この天では、それを従者が為して思いのままに楽しませてくれるのである。

【天における享楽】

 天の楽は、人間の楽よりあらゆる面で勝れている。それは草上の露と大海の水のような違いである。三十三天の善見(Sudassana)という都は、須弥山の頂上にあって直径千ヨージャナと言われる。その都のナンダナ林(Nandana-vana)という園は、死期の近づいた天人でさえ、死を忘れて楽しむことができる園である。青葉や花の咲き競っている木々のあいだを天子や天女が遊歩していることが、この園の瑞相のひとつである。この園と都のあいだにマハーチュンダ、チューラナンダというふたつの美しい池があり、それを眺める天人の群や、池辺に散りばめられている種々の宝石によって、さらにその池は荘厳されているのである。都の南にも西にも大池や園がある。彼らの善業によって得られた天宮も光り輝く金殿玉楼である。すべての天子は20歳、天女は16歳のまま、その美しさが衰えることはない。そして、これらの天宮と天人の美しさには差があるが、それはその天人の過去の善業の程度によるとされる。また、彼らの食物は天食であるから、体の中に大便・小便などすべて不浄なものがなく、月経さえも生じない。六欲天では、男女の交わりは人間と異ならないが、不浄な精液を排出しないで、ただ血が動揺するだけである。そして、天女には妊娠がなく、子は母親の膝や寝台の上に現れるのである。また使用人となっている天人には自分の天宮はない。天には人間界のように恋愛・見合い結婚の別もあり、また天宮はあっても夫のいない淋しい天女もいるという。

 このように天界では五欲の楽しみが極まっているので、五欲を厭う阿那含、及び阿羅漢に達した天人は、天界に長くとどまらないで、阿那含果は色界の浄居天に往生し、阿羅漢果は涅槃するのである。また、天界にいる諸菩薩は波羅蜜を行ずる機会がほとんどないから、寿命が終わるのを待たずにある自殺の方法(adhimutti-kālaṁ-kiriyā)を用いて、人間界に生まれ変わって波羅蜜を満たそうとする。しかし、善業を積むことができる天界もあることはある。それは三十三天にあるチューラマニ(Cūḷāmaṇi)という舎利塔とスダンマ(Sudhamma)という公会堂である。この中の舎利塔は1ヨージャナの高さがあり、エメラルド製の大塔である。その中には仏陀が菩薩であったときの髪の毛と、仏の右の牙が安置されている。信仰の深い天人らは、他の天のように五欲を楽しむ代わりに、塔に参拝したり花などを供養して波羅蜜を行じるのである。

 この公会堂の瑞相について述べると、まず公会堂のそばには、パーリッチャッタカ(pāricchattaka)という樹があり、その花の香りが公会堂の中にまで漂ってくる。公会堂の真ん中には説法の席が用意され、それに白傘が差しかけられ、周りに帝釈天、パジャーパティー王(Pajāpati)、ワルナ王(Varuṇa)、イーサナ王(Īsana)など三十三天衆の席が列なっている。説法のときが来ると、帝釈天自身が吹き鳴らす法螺貝(vijayuttara)の音は、善見の都中に鳴り渡るのである。それは人間界の時間で4ヶ月間である。天衆が公会堂に入ってくると、彼らのつけている宝石や花の光によって公会堂中が輝く。そして梵天界から降りてきたサナンクマーラ(Sanaṅkumāra)とう梵天が説法するが、時には帝釈天自身が説法したり、説法に勝れた天神が説法するのである。

 

色界 (Rūpa-loka ルーパ・ロカ)

<初禅>

梵衆天(Brahmā-pārisajja ブラフマー・パーリサッジャ)

梵輔天(Brahmā-purohita ブラフマー・プロヒタ)

梵天(Mahā-brahmā マハー・ブラフマー

 <第二禅定>

少光天(Parittābha パリッターバ)

無量光天(Appamāṇābha アッバマーナーバ)

光音天(Ābhassara アーバッサラ)

 <第三禅定>

少浄天(Parittasubha パリッタスバ)

無量浄天(Appamāṇāsubha アッパマーナースバ)

遍浄天(Subhakiṇṇa スバキンナ)

 <第四禅定>

無想有情天(Asañña-satta アサンニャー・サッタ)

 ※こころを持っていない色蘊のみの衆生

広果天(Vehapphala ウェハッパラ)

 

無色界(Arūpa-loka アルーパ・ロカ)

空無辺処(Ākāsānañcāyatana アーカーサーナンチャーヤタナ)

識無辺処(Viññāṇañcāyatana ヴィンニャーナンチャーヤタナ)

無所有処(Ākiñcaññāyatana アーキンチャンニャーヤタナ)

悲想非非想処(N'eva-sañña-n'āsaññāyatana ニヴァ・サンニャー・ナーサンニャーヤタナ)

 

浄居天(Suddhāvāsa スッダワーサ)

 ※不還果と阿羅漢のみ存在。

無煩天(Suddhāvāsa-aviha スッダワーサ・アウィハ)

無熱天(Suddhāvāsa-atappa スッダワーサ・アタッパ)

無現天(Suddhāvāsa-sudassa スッダワーサ・スダッサ)

善見天(Suddhāvāsa-sudassī スッダワーサ・スダッシー)

色究竟天(Suddhāvāsa-akaniṭṭha スッダワーサ・アカニッタ)