仏滅2500年後 Neyya(被教導者)、Padaparama(語句最上者)の解脱戦略

目指すものがわかれば、取るべき方法は限られる。現実(=Dukkha、苦)を見つめれば目指すべきものがわかる。それは、Dukkhaからの解放。http://bit.ly/2fPFTVC/Ugghaṭitaññū(ウッガティタンニュ)、Vipañcitaññū(ウィパンチタンニュ)、Neyya(ネーヤ)、Padaparama(パダパラマ)の四衆生について:http://bit.ly/1KmGR2V

Saṃyutta-Nikāya 相応部経典

無我論(2)―我(Attan)についての無記(アーナンダ経 Ānanda-sutta)

ブッダは「諸法無我(Sabbe dhammā anattā)」を説かれます。 しかし、我(Atta)自体の存在の有無については、無記(Avyākata)ということのようです。 下記の「アーナンダ経(Ānanda-sutta)」の要点を書きます。 「我があるか?」→ブッダ「(沈黙)」(無…

無我論(1)―ブッダが否定した我(Atta)とは?

ブッダの言葉 279.‘‘Sabbe dhammā anattā’’ti, yadā paññāya passati;Atha nibbindati dukkhe, esa maggo visuddhiyā. ダンマパダ 279 あらゆる法は、無我なり(Sabbe dhammā anattā)、と 智慧を持って観るときに かれは苦を厭い離れる これ清浄にいたる道…

善友経(Kalyāṇamitta-sutta)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

人身受け難し(3)―Saṃyutta-Nikāya(相応部経典)の最後のセクション「第五の生殻中略の章」

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

「子はよりどころ、妻は最上の友」―拠所経(Vatthu-sutta)

Buddhābhivādanā 礼拝文Namo tassa bhagavato, arahato, sammā-sambuddhassa.阿羅漢であり、正等覚者である、かの世尊に礼拝いたします。Bhājemi Pūjā 廻向偈Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā' vahaṃ hotu.この功徳によって、煩悩の滅尽が実現しますように。Idaṃ …

Cetanā(思)=Kamma(業)=Saṅkhāra(行)

Saṅkhāra(行)は、いろいろな意味がある。 そのなかでも、Kamma(カルマ、業)という意味での用法も代表的な意味だ。 その場合、 Cetanā(思)=Kamma(業)=Saṅkhāra(行) なりたつ。 Buddha Dhammaの1つの公式のようなものだ。 Cetanā(思)とは、7つの…

「Paṭiccasamuppādaを見るものは、Dhammaを見る。Dhammaを見る者は、Paṭiccasamuppādaを見る」―Mahāhatthipadopama-sutta(大象跡喩経)他

Majjhima-Nikāya 28 Mahāhatthipadopama-sutta 中部経典28 『大象跡喩経』(だいぞうしゃくゆきょう) http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0201m.mul2.xml http://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn03/mn03c24.files/sheet001.htm Vuttaṃ kho panetaṃ bhag…

人身受け難し(2)―盲亀浮木の喩え(Dutiyachiggaḷayuga-sutta)

一部では有名な盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え。 これの原典もSaṃyutta-Nikāyaにあった。 これも人身受け難きこと、ブッダの説かれた正法の聞き難きを説いた教えである。 まず、地球の大地(mahāpathavī)すべてが一面の海(ekodakā)であると仮定する。 そ…

人身受け難し(1) Dhammapada 182、爪先経(Nakhasikha sutta)

人間としてこの世に生を受けることの難しさ、仏の教えに出会うことの難しさは、様々な経典で語られている。 爪先経は、以下の様な内容である。 大地の土と爪の先にのせた土とでは、大地の土の量が圧倒的に多く、爪の先にのせた土は比べるまでもなく極少量で…

定経(Samādhi-sutta)―「禅定に入った比丘は如実に知る」

ブッダが「Samādhi(定)を修習しなさい」とおっしゃられている経典です。 そして、「Samādhiに入った比丘は如実に知る」と続きます。 何を如実に知るのでしょうか。 Rūpa(色)、Vedanā(受)、Saññā(想)、Saṅkhāra(行)、Viññāṇa(識)の五蘊の集と滅で…

輪廻のなかで流された血―三十人経(Tiṃsamatta-sutta)

以前は、「輪廻の中で流された涙は四大海の水より多い」という相応部の「涙経」を写経した。 <a href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049" data-mce-href="http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2015/03/03/225049"&g…

解脱の十二縁起 Upanisa-sutta(ウパニサ・スッタ 縁由経)

このUpanisa-suttaのUpanisaとは、ウパニシャッド哲学のウパニシャッドと同じ語源である。ともに「近くに座す」の意味だ。 ウパニシャッドのほうは、「師の近くに座す秘伝」のような意味合いがあるらしい。 このUpanisa-suttaのUpanisaは、どちらかというと…

「正法似非経(Saddhammappatirūpaka-sutta)」-Saṃyutta-Nikāya 2.5.13

Saddhammaは「正法」。Patirūpakaは、「相似の、变貌の、幻影」で、Saddhammappatirūpaka-sutta正法似非経。 偽の仏法と、仏法消滅の5法について説かれている。 このように私は聞いたー あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディ…

「涙経(Assu-sutta)」 - 相応部経典 15.1.3

ブッダ: 比丘たちよ、長時にわたり、そなたたちに、母の死が経験されています。 それゆえ、母の死を経験し、快くないものとの出会いにより、快いものとの別離により、号泣し、泣いてきたそなたたちに流れ、漏れ出た涙こそ多く、四大海の水の比ではありません…